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平成21年3月8日に玉川村のたまかわ文化体育館にて行われた昇級昇段審査会にて、めでたく平田道場初の黒帯が誕生しました。
4月から東京の学校へ通うため上京することが決まっていましたが、「卒業後は必ず福島に戻って黒帯を取るつもりでいる」という決意と、入門当初からコツコツと努力を積み重ねてきたその姿勢に心打たれた岡崎師範の計らいで、急遽型審査と十人組手を一日で終わらせるという異例の審査方法で受けることになった久下初段の黒帯への軌跡をご覧下さい。
◆10人組手完遂までの軌跡
一人目 白河道場の竹内翔吾君と対戦。
急遽審査を受けることが決まったために心の準備が追いつかず、十人組手前に涙ぐむ様子も見られたが、果敢に前に出てくる竹内君に対し茶帯らしく気持ちを切り替えワンツー下段で応戦する千賀子さん。右の上段回し蹴りを2回顔にもらったが、最後まで積極的に攻め続けた。
二人目 石川道場の吉田美咲さんと対戦。
吉田さんも突きと蹴りでガンガン前に出てくる。ここでも上段をもらいヒヤヒヤする場面が続く。
三人目 玉川道場の酒井毬衣さんと対戦。
千賀子さんの中段回し蹴りがいい角度で入っていく。手数で相手を上回った。
四人目 石川道場の岡崎紗奈さんと対戦。
序盤は下段蹴りが良く出ていた。積極的に前に出る組手が出来ており、ここでも手数で相手を上回った。
五人目 石川道場の小池由紀子さんと対戦。
5人目になってもよく突き蹴りが出ている。上段蹴りも積極的に出していた。
六人目 いわき道場の鹿取未央さんと対戦。
ここで強敵登場。防戦一方となり後ろに下がる動作が多くなる。強烈な中段・下段の蹴りが千賀子さんの体力を確実に奪っていく。
七人目 石川道場の國分篤太郎さんと対戦。
鹿取さんとの組手のダメージを引きずり苦しい表情が続く。攻撃をさばく余裕がなくなり、中段突きが幾度も懐に入る。
後半前蹴りをもらい動きが止まる。
八人目 白河道場の田村優太君と対戦。
相手の下段蹴りを受ける余裕もなくもらい続ける。内股蹴りと下段蹴りを使い分けてくる田村君にさらに体力を奪われ、突きも出なく防戦一方になる。その様子に周りの声援が大きくなり、それに励まされたのか後半は攻撃するようになった。
九人目 玉川道場の増子広行指導員と対戦。
平田道場の指導員でもあり千賀子さんをここまで育てた増子指導員との組手。
身内に甘いと思われることを嫌い、どの相手よりもキツイ攻撃を繰り出す増子指導員に内股蹴りや下段突きで動きを止められる。さらに突き・蹴りのラッシュで身体がぐらつき、ますます表情も苦しげなものになる。泣いていたのかグローブで目元を擦る場面も見られた。
十人目 最後は玉川道場の酒井裕之指導員と対戦。
強烈な突きを二度ももらい動けなくなるが、根性と気合で反撃する。ラスト10秒の掛け声に最後の力を振り絞り、懇親のラッシュで10人組手を終了する。
特に大きな怪我もなく終える事が出来、いつもの朗らかな笑顔で「やっと安心しました」と語ってくれた千賀子さん。もし千賀子さんが大会に出るときや審査を受ける前だけ真剣に稽古をし、それ以外は適当に手を抜いて稽古をしているような人だったら、今回のような審査方法での合格は有り得なかったと思います。
審査を受けることが決まったのは一週間前で型審査の内容を稽古するのが精一杯だったため、ほぼぶっつけ本番での10人組手でしたが、立派にやり遂げた千賀子さんにもう一度拍手を贈りたいと思います。千賀子さんおめでとう!
◆黒帯に聞け! The 一問一答
さてここで、ガラリと雰囲気を変えて、久下初段にいろいろとインタビューをしてみましたのでご覧下さい。(インタビュアー:増子サヤカ)
Q 10人目との組手が終わった時、何を考えていましたか?
A 終わったという感じがしなくて何も考えられなかったです。
Q 何を考えながら組手をしていましたか?
A 初めは早く終わらせたいと思っていましたが、最後はただがむしゃらに組手してました。
Q 10人のなかで特に印象に残っている相手や組手の内容などはありますか?
A 鹿取未央ちゃんです。強くて反撃出来ないまま終わってしまって悔しかったです。
Q 審査の前後にかけられた言葉で心に残っているものがあれば教えてください。
A 皆が「落ち着いてやれば大丈夫だよ」「千賀子ちゃんなら出来るよ」と言って勇気づけてくれたのが嬉しかったです。
Q 審査前の気分はどんな感じでしたか?
A 朝から落ち着かなくて時間が過ぎるのがとても遅く感じました。組手の前も緊張して何も考えられませんでした。
Q 昇段に向けて自分を追い込む中で一番辛かったことはなんですか?
A 分解の型を一週間で覚えなくてはいけないことが大変でした。日中も部屋で練習したりして本当に空手づけの一週間で、何をしてても審査の事を考えずにはいられなかった事が辛かったです。
Q 今までの空手人生の中で『これがあったから今の自分がいる』と思うことはありますか?
A やっぱり平田道場の皆が居てくれたからここまで続けられたと思います。
Q 十人組手を終えて、自分の中で空手に対する考え方や人生観など何か変化はありましたか?
A 十人組手は本当に辛かったし途中でやめたくなりましたが、最後までやりきった事で諦めない事の大切さや頑張れば出来ない事はないということを身をもって感じることが出来ました。また、もっと空手を頑張りたいと思いました。
Q どんな黒帯(指導者)を目指したいですか?
A 黒帯に恥じないように稽古に励み、これをゴールと思わずに精進したいと思います。そしていつかは増子先生のような指導者になりたいと思います。
Q 黒帯を目指す後輩へアドバイスをお願いします。
A 黒帯を取るのは容易ではないので、日々の稽古を大切にして欲しいです。
以上で質問は終わりです。久下さんご苦労様でした。
最後に、黒帯を取得すると必ず書く作文があるのですが、空手を始めたきっかけや黒帯を取ろうと思った経緯などがまとめられていますので、こちらに載せたいと思います。
◆黒帯への軌跡
私が空手を始めたのは中学二年生の時です。岡崎師範に出会い、極真館に入門した時から私の夢は黒帯になることでした。何年かかってもいいから必ず黒帯になろうと決めていました。そして先日、黒帯の審査に合格することが出来ました。
黒帯の審査を受けると決めてから毎日があっという間でした。毎日稽古をしても足りない気がして、家で型や棒術の練習もしました。日中何をしていても審査の事ばかり考えていました。
審査当日は緊張して、型をいつも通りやることが出来ませんでした。十人組手では逃げ腰になってしまい自分から積極的に相手に向かっていくことは出来ませんでしたが、皆の応援のおかげで完遂することが出来ました。
私は昔から運動が苦手でした。そんな私が空手をずっと続けて来られたのは、岡崎師範や増子先生など素晴らしい先生方に出会えたからです。空手を通して出会ったたくさんの方々、そして家族の応援と支えがあったからこそ取れた黒帯です。これまでお世話になった方々に感謝したいです。
私はこの春から進学のため上京しますが、空手で培った根性と忍耐力で頑張りたいと思います。そして福島へ帰ってきたら今まで以上に稽古に励み、極真の名に恥じない立派な黒帯になって増子先生を支えられるような指導員になりたいです。
最後に、増子先生、平田道場の道場生の皆、保護者の皆さん、未熟な私を指導し励ましてくれて本当にありがとうございました。これからはお世話になった方々に恩返し出来る様に更に頑張りたいと思います。押忍。
久下 千賀子 |
◆あとがき
千賀子さんが入門したのは平田道場設立時で、その時は千賀子さんの同級生が何人も入門しました。
皆真面目ないい子達でしたが間には高校進学などがあり、最終的には千賀子さんだけが残る形となりました。
全日本青少年大会で準優勝するなど様々な大会でたくさんの成績を残してきた千賀子さんは、誰よりも先に道場訓を覚え稽古の締めを任されるなど中心的な存在だっただけに、東京に行くと聞いた時はかなりのショックと寂しさを感じました。
審査を受けることが決まる前は2年後に地元に戻り黒帯を取ると話していましたが、黒帯を取ってしまったら熱意が冷めてしまうんじゃ…と正直なところ頭をよぎりました。けれど千賀子さんは「極真館には籍を残したままで近くで講習会があるときは受講したいと思っているし、卒業後はまた地元に帰ってきて指導員をやります」と言ってくれました。
当分平田道場に稽古に来ることはないと思いますが、平田道場の一員としてホームページの指導員のページにしっかりと千賀子さんの名前を残しました。自分も一緒に指導にあたれることを楽しみにしながら、千賀子さんの後輩を育てていきたいと思いました。
今後いろいろな苦難にぶち当たることがあると思いますが、空手で鍛えた精神力と根性で乗り切って欲しいと思います。
分支部長 増子 広行 |