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◆歴史探訪東京ぶらり旅♪
またしても10月24日〜25日の2日間の日程で東京一人旅をしてきました。
今回の目的は勝海舟を中心とした歴史探訪と戦国武将の甲冑フィギュアの購入、そして岩田學支部長率いる埼京支部への出稽古の3つです。毎度の事ながらお得な高速バスで東京へ向かいました。
東京駅の日本橋口に降り立った私はまず、勝海舟と西郷隆盛の会見の地へ向かう事にしました。山手線に乗ってJR田町駅へ向かい、そこから徒歩で迷いに迷って40分以上かけてようやく目的地へ到着しました。
この地は薩摩屋敷があった場所であり、新政府軍による江戸城への総攻撃が目前となった1868年に勝海舟と西郷隆盛の話し合いにより江戸城の無血開城が決められた歴史上において大変重要なポイントです。
いつものように『ここで勝海舟と西郷隆盛が…』と感慨にふけろうとしましたが、大きな道路が目の前にあって車がガンガン通るので、感情移入がなかなか困難でした。
会見の地を後にしてホテルに向かって歩いていると見覚えのある牛丼屋が視界に入ってきました。
そこは前回訪れた際に「ここで食べていきます」と答えたのに持ち帰り用の豚丼を渡された因縁の松屋でした。
その時は気が小さいため文句も言えずに悔しい思いをしたので、今回はその雪辱を晴らしてやることにしました。
あの時と同じ豚丼のチケットを購入して、勇気を出して店員に渡すと、今までのモヤモヤが一気に吹っ飛ぶ衝撃の事実を発見しました!なんと従業員全員が日本人ではなかったのです!
多分あの時は私の福島訛りで上手く聞き取れなかったのだろうと自分なりに納得し、今回は豚丼を美味しくいただくことが出来ました。
続いて訪れた歴史ポイントは上野戦争のあった上野公園です。
無血開城を快く思わない勢力が上野の山に立て籠もり新政府に対抗しました。戦はたった一日で大村益次郎や西郷隆盛が指揮した新政府が勝利しました。
私は、一番の激戦区だった元東叡山寛永寺へ向かいましたが、夕暮れで薄暗くなってきたうえ傘が無い状態で激しい雨に見舞われたのでやむを得ず断念しました。
↑ハノンの一場面 |
夜になり今回の旅行の最大の目的である埼京支部への出稽古に向かいました。
今回訪問した埼京支部の朝霧道場は夜8時から一般の道場生の稽古があるということでしたので、その時間に合わせて伺いました。すると一般部に混ざって子供達が4名ほど居て、岩田支部長から「30分だけで構わないので是非、子供達に型の指導をして欲しい」と話があり、基本・移動・補強・平安その1〜その3までを少しだけ指導しました。
私も何か一つでも岩田先生から吸収したいなと考えていたところ、岩田支部長が考案した通称「ハノン」という稽古法を少しだけ教えていただくことが出来ました。
岩田支部長の指導を受けながら自分が指導者としてこれまでやってきたことと比較してみると、理論的な説明とその動きなどからプロとアマの違いをはっきりと感じました。また、岩田支部長の強さの秘密を少しだけ知ることが出来たような気がします。
稽古後に床に敷いてあるマットの水拭きや掃除を丁寧に行い、道場を閉めた岩田支部長から「向かいにある寿司屋にまた行きましょうか?」とお誘い戴いたので、道場運営や稽古法、空手への思いについて語り合い、とても有意義な一時を過ごすことが出来ました。前回訪れた時に駅まで送ってくださった寿司屋のお母さんも自分を覚えていてくれて、「今日も駅まで送りましょうか?」と温かいお言葉をかけていただきました。今回も岩田支部長に美味しいお寿司をご馳走になったうえ、宿泊するホテル近くまで送っていただきまして感謝しています。本当にお世話になりました。今回、教えていただいたものを一日でも早く身につけ、次のステップに入れるように精進したいと思います。また、よろしくお願いします。
↑勝海舟生誕の地 |
さて、二日目の今日はJR両国駅から歩いて10分くらいにある両国公園内の「勝海舟生誕の地」へ向かいました。
ここには石碑が建立されており、その隣には勝海舟の紹介が書かれている碑がありました。その碑によると『勝海舟は幼名を麟太郎といい、文政6年(1823年)1月13日にこの地 男谷精一郎邸内で生まれた』そうです。どこにでもあるような小さな公園でしたが、朝も早いのに何人かの訪問者がいました。ここで幕末の偉人が生れたことを考えると胸が一杯になりました。
↑勝海舟邸跡 |
続いて訪れた勝海舟にまつわる最終ポイントは、港区赤坂にある「勝海舟邸跡」です。住宅地にあるこのポイントは特に目印もなかったためとても判りづらく、辿り着くのに一番苦労しました。
勝海舟は生涯三箇所に移り住みましたがここに居住した十年間が最も華々しく活躍し、終生赤坂の地を愛したそうです。ここで文久二年11月、勝海舟を刺殺しようと訪れた坂本龍馬らに世界情勢を説いて決意を変え、逆に熱心な門下生に育てあげて、明治維新への流れに重要な転機を与えたのは有名な話です。
勝海舟邸跡の見学が終わり、折角「赤坂」に来たのでよくテレビやラジオでも耳にする「赤坂サカス」でも見に行くことにしました。
↑赤坂サカス |
私は普段テレビは大河ドラマの「篤姫」位しか見ていないので、赤坂サカスは何をするところなのかさっぱりわからないまま現地に到着しました。TBS本社やTBSのショップ、スターバックス、和歌山県の物産展が開催されているブースなどが目に入りましたが、どの部分がサカスの部分なのかわかりません。とりあえずスタバでコーヒーを飲みながら辺りを暫く眺めましたが埒が明かないので、物産展のスタッフらしき人に尋ねたところ、どうやら物産展が開催されている部分がサカス部分だということがわかりました。もっとすごく大きな建物と予想していたので、そのギャップに驚かされました。
さあいよいよ次は戦国武将の甲冑フィギュアを購入するため、お台場にある『時代屋』へ向かうことにしました。毎度毎度東京へ行くたびに訪れるお気に入りの場所になってしまった『時代屋』は、お台場にある台場一丁目商店街の一角にあります。戦国時代のグッズを専門に扱っていて、今回もまた掘り出し物をゲットしてしまいました!それは真田幸村の甲冑と刀のフィギュアがセットになった代物で、ケースの背景には家紋が施されとても渋く、見ていると時を忘れてしまうほど完成度が高いものです。知らずにテンションが上がったのか、店長さんとしばし歴史について話し込んでしまいました。楽しかったです♪
↑昭和のレトロな雰囲気が漂う 台場一丁目商店街 |
↑商店街の一角には昔懐かしい公園が。 |
↑時代屋 |
足取りも軽やかに台場一丁目商店街の外に出ると、偶然にも猿回しが行われていました。
内容は走り高跳びで、お猿さんに指示を出すお兄さんとのやり取りも絶妙でした。お猿さんは自分の身長よりも遥かに高い棒を軽く飛んだ上、お兄さんの指示を理解しこっけいな行動をするなど練習の跡が見えました。ここまで来るのにはいろんなドラマがあったのだろうと想像し感動しました。
その後新宿へ戻り、家族へのお土産にクリスピークリームドーナツを購入して、福島行きの高速バスに乗り込みました。
今回の旅も、大雨に見舞われたり迷ったりと波乱含みでしたが、岩田支部長と更に交流を深められるなど実りある旅になりました。今後は教えていただいた「ハノン」の稽古に励み、次の訪問時に備えたいと思います。
(2008年10月)